Chemchem ya Amani TANZANIA

 

ご報告とお詫び

 タンザニアに来て2週間、モシに着いてからは10日しか経っていないのですが、この10日で想像もしていなかった多くのことが起こり、私自身とても混乱しておりました。日本で私の活動に賛同してくださり、応援してくださっているみなさまには大変申し訳ないことなのですが、事実は事実ですので、ご理解いただけるよう、これまでの経緯を全て、ご説明させて頂こうと思います。

 結論から言いますと、タンザニアで登録されているNGO「Children Aid to Tanzania」から、私自身の名前を除名致しました。

 理由は、簡単に言いますと、騙されていたからです。
 こちらに来てすぐに、変化を感じました。モヨの家には大きな子は全員いなくなっていました(これは物を盗んだのがバレて出ていったと言う話を電話で聞いていましたが)。小さな子供たちも、5人がいるだけでした。その子たちも、聞くとほとんどが、ずっとモヨの家では寝ていなかったといいます。別の家や施設等で寝泊まりしていて、最近、私が来るのを聞いたり、施設から逃げ出したりしてモヨの家に来たのだといいます。そして私が去年置いていった毛布3枚も、盗まれた、破れたと言って、無くなっていました。つまり、子供たちを世話していた形跡がありませんでした。

 そして、着いてすぐ、あちこちから同じ噂を聞きました。子供たち自身から、私が去ってから、子供たちを寝泊まりさせて世話していたお兄ちゃんから、他の NGOの人、ポーターをしてくれた友人から。それは、モヨがタンザニアでは認められていない商売をしている、という話でした。 
 私は本当に信じられなくて、とにかく真相を突き止めようと、情報を集めました。子供が「買ってきて見せてあげる」というので、100shを渡して少し離れたところで待っていると、本当にそれを持ってきました。 モヨの家の前にいたとき、知らない人がやってきて、私を見て帰ろうとしたのですが、裏道からモヨの家に入りました。見ていた子供たちが、「あの人、買いに来たんだよ」と教えてくれました。 今は別の場所で寝ている大きな子たちを探し出して、話を聞きましたが、同じことを言いました。 そして私たちの手伝いをボランティアでしに来てくれていた、警官の奥さんであるママルーシーにこっそり話を聞きに行ったら、「聞かれた以上、ちゃんと答える」と言って、彼女が知っていることを教えてくれました。
 彼女も始めは全く知らなかったそうで、彼女の旦那さんが警官ですので、モヨたちも必死で隠そうとしていたらしいのですが、モヨの家に長く居ることもあって、人の出入りで気付いたそうです。そして彼女がママモヨに問いただしたところ、認めたそうです。外の人間である彼女から聞いたことで、噂は確信を得ました。貧しい彼らが何で食べて、食べさせていたのか、つじつまが合ったような気がしました。
 
 こんな人間でも、「モヨは世話してくれているよ、捕まえないで。」という子もいます。でも子供たちの多くは、彼からそれを買っていて、使っているのです。信じられない話ですが…。
 子供たちがストリートから離れられない理由のひとつが、タバコや、こういった物を自由に使えるからです。子供を世話している振りをしていた人間が、子供たちをストリートにとどめる原因となるものを子供たちに売っていたなんて、シャレにもならない話です。知らなかったとはいえ、そんな人間に荷担してしまっていたなんて、本当にショックでした。

 犯罪を犯している人間、平気で嘘をつく人間と、仕事なんてもちろん出来ないので、彼らとの関係を絶つことを考えました。想像もしていなかった事実に混乱し、私は、騙されたこと、彼が許し難い事をしていることに対し、喧嘩腰に文句を言ってやりたい気持でした。しかし、信頼できる友人からアドバイスを受け、もしまだここに居たいのであれば、私が彼の秘密を知ったことが分かれば、私が彼らから離れることを力ずくでも阻止しようとしたりするかもしれないし、事件に巻き込まれることになるかもしれないし、嫌なことを言われたり、されたりしてモシに居られなくなるかもしれないので、その話はしないで、別な理由を考えて、正式な形で除名するべきだと言われ、各役所に除名願いのレターを提出するに至りました。理由は彼らではなく、「日本での支援金が思うように集まらず、 NGOの運営を続けるのが難しいと考えたから」ということにしました。幸い集まった額も伝えていませんでしたので。
 
 17日、ダルエスサラームのOfisi ya Makamu wa Rais(副大統領府)と、Ofisi ya mkuu wa mkoa(州庁)にレターを提出し、同じ物をKashengeとMoyoに渡しました。私のやる手続きはこれで終わりらしいです。後はまだNGOの役員である彼らが、役員変更の書類を提出するだけです。手紙を渡してからも、話し合いは数回繰り返されました。「考え直してくれないか」「意見を言うだけでもいいから残ってくれないか」と頼まれましたが、なんとか「もう続けられない」で押し切りました。初めのうちは、「他にも、誰かに何か言われたとか、理由があるんじゃないのか?」と何度も聞かれ、ドキドキしましたが、「書いたこと意外に理由はない」と言い続け、相手も信じたようです。その後は聞かれなくなりました。
 理由が自分にあることにしたため、「これからも遠慮なく来なさい」と言われてしまいましたが、もう彼らとは関わりたくはありません。しかし、ストリートから抜けられない子供たちは、どうしても彼の家に行ってしまうのです。彼の家があるから抜けられないとも言えます。また、子供たちがいる限り、私が彼の家に行く理由ができてしまいます。
 
 現在、私が居なかった間に子供たちの世話をしていた青年たちの家に、子供たちを戻そうと、一緒に試みています。彼らの家には一時期10人が寝泊まりしていたそうですが、逃げ出すなどして現在は5人になっています。3人は小学校に通っています。もう同じ過ちはしたくありませんので、出会ったばかりの彼らの活動を完全に信用することはできていませんが、週に4回彼らの家に行き、3日は学校に行っていない子供たちに算数や書き方を教えることにしました。毎週土日はストリートで寝ている子供たちも家に呼んで、サッカーをしたりしています。そして彼ら自身に、「家に残るか、ストリートに戻るか」を選択させます。そういう体制を取ってみることにしました。そのように関わりつつ、彼らのことを見ていきたいと思っています。他に子供たちを移す場所もないため、現在はこうするしかありません。これから子供たちとゆっくり話をし、ストリート(モヨの家)から離れさせ、私自身もモヨの家と距離を置くようにしていきたいと思っています。


 こんな事になってしまったのは、自分が簡単に人を信じすぎてしまったのが悪いのであり、みなさんにご迷惑をおかけしたのは自分のせいだと思っています。もっと自分が注意深くあれば、こんなことにはならなかったのではないかと思います。本当に申し訳ありませんでした。幸い、引っ越しする予定だった家の修理も少し行っただけで、いただいた支援金を遣わせていただく前にこの事実が判明したため、支援金には全く手を付けておりません。状況が変わってしまったため、先にはなりますが帰国次第、みなさんにお返ししていきたいと思っております。

 施設を作っていくという計画は、このような結果になってしまいましたが、まだ困難の中で暮らしている子供たちがたくさんいることは確かで、その状況はモヨのような人間もいることで、想像以上に深刻であると感じています。孤児以上に、このストリートチルドレンという問題は難しい問題であるのではないかと感じております。今回のことで、私自身、タンザニアで仕事をすることに恐怖を覚えています。でもこのような子供たちに出会った以上、何かしたいという気持ちは変わっていません。滞在期間はまだありますので、これからは個人的に勉強を教え、彼らと話をしていくという活動を続けながら、自分の進むべき道を考えて行きたいと思っております。NGOという団体の活動ではありませんが、私個人の活動として、タンザニアのストリートで暮らす子供たちに目を向けてくださった方々に、現状を伝えていきたいと思っております。

 突然の、この様なご報告に、大変驚かれたことと思いますが、どのようなご意見でも、お聞かせいただければと思います。今後の参考にさせて頂きます。これから少しずつ、HPも変更してまいります。違った形にはなりますが、私の目から見たタンザニアの様子をお伝えしてまいりますので、たまに覗いてみていただけたらと思います。

 多くの時間や労力、人脈を駆使して協力してくださったみなさま、品物や支援金を提供してくださったみなさまには、本当に申し訳なく思っております。今は謝ることしかできませんが、本当に申し訳ありませんでした。

  • posted by naomaru さん
  • 2008-8-12 23:25
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